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HISTORY 1982 - 1990

初期のDEATH ANGEL 1982年、アメリカのサン・フランシスコにてロブ・カヴェスタニィ (Gu,Vo)とアンディ・ギャレオン (Dr,Vo)、ガス・ペパ (Gu)、デニス・ペパ (Ba,Vo)でデス・エンジェル (DEATH ANGEL)を結成する。
全員いとこ同士で、ガスとデニスは兄弟。
バンド名の由来は、ロブとデニスが書店で見つけた本のタイトル。


1983年にマット・ウォレスをプロデューサーに迎え、最初のデモテープHeavy Metal Insanity(ヘヴィ・メタル・インサニティ)を制作する。
当時は、ロブがボーカルギターを担当していた。


1984年、4人のはとこのマーク・オセグェダ(Vo)が加入。マークはそれまでデス・エンジェルのローディーとして働いていた。
その後、バンドはベイエリアやサン・フランシスコでライブ活動に精を出す。


1986年、メタリカのギタリスト、カーク・ハメットをプロデューサーに迎え、KILL AS ONE(キル・アズ・ワン)のデモを製作。これがアンダーグランドで行われていたテープ・トレーディング(ダビングするために貸し借りし合うこと)のブームに乗ったために多くの人に知れ渡り、エニグマ・レコードとの契約に結びつくことになった。


1987年、同レーベルよりファーストアルバムTHE ULTRA-VIOLENCE(ジ・ウルトラバイオレンス)をリリース。レコーディング当時、メンバーはまだ全員10代だった。
Voracious Soulsにはミュージックビデオが存在するが、歌詞が過激なためにMTVでは放送されなかった。しかし、アルバムは4か月で4万枚を売るヒットとなる。


1988年には、セカンドアルバムFROLIC THROUGH THE PARK(フローリック・スルー・ザ・パーク)をリリース。U2やそのギタリストであるジ・エッジに影響され作られたBoredは映画にも使用され、ミュージックビデオはMTVでも人気を呼んだ。
そして初めてのワールド・ツアーも行い、来日公演も完売するなど大成功に終えた。


1989年、エニグマ・レコードから買い取られる形でゲフィン・レコードと契約する。
翌年にはオジー・オズボーンやメガデスのプロデューサーとして有名なマックス・ノーマンを迎え、サードアルバムACT V(アクト・III)をリリース。アコースティックサウンドのバラード曲、A Room with a ViewはSeemingly Endless TimeとともにMTVで何度も流され、バンドの代表曲になった。



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