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DEATH ANGEL
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1990 - 1991 解散、そして2001年の再結成
同1990年、たまたまメンバーが立ち寄ったレコードショップでFALL FROM GRACEを発見する。これは、すでにゲフィン・レコードに権利は移っていたのにも関わらず、一切の了承なしにエニグマ・レコードからリリースされたライブ音源を収録したアルバムだった。
さらに、ラスベガスのライブに向かうためアリゾナで起こったツアーバスの横転事故にてドラマーのアンディが頭部に致命傷を負ってしまう。
そのままギャレオンがいない状態でツアーを続行させられることになったり、新しいドラマーを雇うのを強いられたりし、メンバーたちはマネジメントに対して不信感を募らせていく。
この間、マークはバンドを脱退し、ニューヨークへと移った。「大学に通うため」と噂されていたが、後に本人はこれを否定している(BURRN!のインタビューにて)。
1年以上の月日が流れ、アンディは傷を残すことになったものの回復した。
残されたメンバーはサードアルバムACT Vの曲名からとったジ・オーガニゼイション(THE ORGANIZATION a.k.a The"O")にバンド名を変え活動を再開する。これまでのスラッシュメタルとは異なり、ファンクやオルタナティヴロックに重点を置いた楽曲を制作した。
2枚のアルバムを残し、1995年にベーシストのデニスが抜けたことによってバンドは解散。メンバーたちは他のバンドに移って音楽に関わり続ける中、DEATH ANGELのオリジナルメンバーでもあるギタリストのガスは音楽活動をリタイアして故郷に帰った。
1998年、ロブとアンディは1990年以来振りにマークと組み、ベーシストにマイケル・イザヤを迎えてスワーム(SWARM)を結成。
翌年には4曲入りのセルフタイトルのEPをリリースし、2000年にはアリス・イン・チェインズのジェリー・カントレルのツアーに同行した。
後の2002年には前年にリリースしたEPと1999年のものをまとめたコンピレーションアルバムBeyond the Endを発売する。
2001年8月、スラッシュメタルの祭典スラッシュ・オブ・ザ・タイタンズ、テスタメントのチャック・ビリーを癌から救うためのイベントにDEATH ANGELとして出演する。
オリジナルメンバーのガスは故郷に帰っていたために参加できず、ロブはガスを祝福するとともにメンバーもよく知る友人のテッド・アギュラーに参加を打診しパフォーマンスした。
当初、再結成は単発企画であったが、ライブが好評を呼びそのままテッドはバンドに加入、アルバムはリリースすることなかったが活動を続けていく。
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